なかよしBLOG

田なかよし人が、たま〜に更新します

何者かになりたかった、15年前の自分へ


ずっと「何者かになりたい」と思って生きてきた。 学生時代はコピーライターという肩書きに憧れ、「コピーライター 新卒」とYahoo!の検索窓に打つところから就職活動を始めた。面接で「最近おもしろかった雑誌はありますか?」と聞かれて「宣伝会議という会社のブレーンという雑誌がおもしろかったです」と答えた。 15年前、そんな薄っぺらい人間が内定をもらったのは求人広告のコピーライター職。内定から卒業までの数ヶ月は「俺4月からコピーライターですから」と慢心しきっていた。 就職して、名刺が支給された。「制作本部 コピーライター 田中嘉人」。まだコピーなんて書いたことないのに、コピーライターになってしまった。4月になった途端に「コピーライターになりたい」という夢が叶ってしまった。 仕事は忙しかったが、楽しかったし、自分なりに全力で打ち込んだ。ただ、2〜3年ほど経ったときに何かが変わった。「コピーライター」を名乗ることにそこはかとない恥ずかしさを覚えてしまった。上司が「俺たちはコピーライターなんだから〜」なんて訓示を述べようものなら、「肩書きに執着すんなよ、みっともない」なんて思っていた。 あんなに憧れていたくせに。自分の中身のなさ、実力のなさを棚に上げて。 今思うと、理由は自分がただただ「コピーライターになりたい」と思っていただけで「なぜコピーライターになりたいのか」「コピーライターになって、何がしたいのか」が全くなかったからだと思う。肩書きだけしか見えていなかった軽薄な人間だから、肩書きで語られることにどうしようもない抵抗感を覚えていたのかもしれない。 月日が経って、会社を辞めた。あんなに憧れていた肩書きを自らの手で捨てた。 個人事業主になってからも肩書きに対する違和感はずっと抱き続けていた。

「あ、この人Twitterのプロフィールがいつの間にかライターから作家になってる」
「あ、この人Twitterのプロフィールがいつの間にかライターから文筆家になってる」
「あ、この人Twitterのプロフィールが…」

タイムラインをのぞいては、そんなところにばかり目が行くようになった。自分も例外ではない。何を血迷ったか自分も執筆したラジオドラマ作品が放送されたとき、Twitterのプロフィールに「作家」と書いたことがある。
でも、すぐ消した。

自分には似合わなすぎる肩書きだった。あのとき欲しかったのは「ラジオドラマ作家」の肩書きではなく、「ラジオドラマを書き続けられる生活」だった。肩書きを変えたところで、そんな生活はやってこなかった。 肩書きに対するコンプレックスから解放されたのは、2021年になってからだ。2021年から2022年にかけては、とにかくいろんなことをやった。Web記事の執筆、編集に加え、ラジオドラマ脚本の執筆、アナウンサーのアシスタント、写真の撮影、ラジオ番組やPodcast番組、配信番組台本の執筆、YouTubeの企画・撮影・編集、イベントの司会もやった。

知る人ぞ知る番組「吉田尚記オールナイトニッポンPremium」の構成を担当した夜

とにかく、やりたいこと、できること、できそうなことに節操なく手を出した。

忙しかった。できないこともたくさんあった。でも、めちゃくちゃ心が満たされていくのがわかった。次第に、肩書きなんてどうでも良くなった。自分でも何をしているのかわからなくなったけど、「何者かになりたい」という心を蝕んでいた気持ちはいつの間にかなくなっていた。 2022年の秋、新しい話が飛び込んでみた。 「田中くんさ、うちのWebメディアの編集長やらない?」 ニッポン放送の局長と室長からの打診だった。ニッポン放送が運営するWebメディア「ニッポン放送NEWS ONLINE」の編集を担当してくれないかという話だった。めちゃくちゃ不安は大きくて、断る選択肢も検討していたけど、結局了承した。理由は……まだわからない。



会社員時代以来のWebメディアの編集に携わることになった。しかも編集長。「肩書きなんてどうでもいいや」と思っていたら、とんでもなく大きな肩書きを背負うことになってしまった。 期待されているのは、もっと多くの人に見てもらえるメディアを目指すこと……らしい。期待されているのか、それとも諦められているのか。メディアの責任者やプロデューサーからも「好きにやっていい」と言われている。

会社員時代は「好きにやっていい」と言われても全くアイデアなんて出せなかったけど、会社を辞めてアイデアを出さざるをえない状況に身を置き続けたら、「自分はこういうことがやりたいのかも?」がぼんやりと見えてきた……気がするから。
たぶんだけど、メディアも肩書きと一緒だと思う。「ニッポン放送のメディアだから」と読んでくれる人はいるかもしれないが、これからはニッポン放送のメディアだと知らない人にも届けていかなければいけない。そのためには「ニッポン放送のメディアたるもの○○とあるべき」と守りに入らずに、チャレンジしていくしかないんだと思う。大人の事情は自分には関係ない。それが局員ではない自分が編集を担う意味だと思うから。

残念ながら自分にできることは多くない。過信せずにいろんな人の力を借りながら、いずれはニッポン放送だけではなくラジオ業界全体を支えるようなメディアにしていきたい。

ニッポン放送NEWS ONLINE」だからこそできることは必ずある。両肩に背負った大きな看板の重さを存分にアピールしながら、自分がおもしろいと思うことを追求していきたい。

一企業のオウンドメディアには過ぎないけれど、中学時代、深夜にラジカセのアンテナを伸ばして1242MHzを探していた人間にとってやはりラジオ局のメディアに携われることはこの上ない喜びだからだ。 「何者かになりたくて、コピーライターの肩書きをもらって、Twitterのプロフィール欄に『作家』と書いて、浮かれてたお前にできるのか?」と心の中の自分が問いかけてくる。

できるかはわからない。実力不足かもしれない。

ただ、これだけは言える。言ってやる。

「お前は、自分にこんな未来が待っていることを想像できたか?」と。

2022年ありがとうございました。2023年よろしくお願いします。

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